『ターシャ・テューダーの人生』もしプロデュースされなければ、彼女も田舎に埋もれたただの老女で終わっただろう

 はじめにお断りしておきたいのは、これから書くことは『ターシャ・テューダーの人生』(ハリー・デイヴィス著 相原真理子訳 文藝春秋社刊)を読んでの感想だということです。

 残念ながら私は、ターシャ・テューダーさんにお目にかかることはありませんでしたので、実際の彼女の印象から書いているわけではありません。

 

ターシャ・テューダーとは


ターシャ・テューダー

ターシャ・テューダーTasha Tudor、1915年8月28日 – 2008年6月18日)はアメリカの絵本画家・挿絵画家・園芸家(ガーデナー)・人形作家である。

彼女の描く絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われ、クリスマスカードや感謝祭、ホワイトハウスのポスターによく使われている。50歳代半ばよりバーモント州の小さな町のはずれで自給自足の一人暮らしを始め1800年代の農村の生活に学び、彼女の住む広大な庭で季節の花々を育て続けるライフ・スタイルは、日本でも注目を集めた。 Wikipediaより引用 

 

ターシャの世間的印象

 私が最初にターシャ・テューダーを知ったのは、アメリカバーモント州に広大な庭を手作りしているガーデナーとしてでした。

 電気も水道もない小屋のような古い家に、西部開拓時代のようなドレスを着て住み、花を育て絵を描き、庭で採れた野菜や果物を保存食にして、ろうそくも手作りしているという暮らしぶりに、素直に感銘を受けました。

 今でも彼女をナチュラルライフの手本としている人は多いことでしょう。

 

 しかし、これらの印象は、たぶんに操作されたものでした。

 一見古い農家のように見えたのは、ターシャが息子に建てさせた「18世紀風」の新築の家でした。

 電気も水道も無いというのも「住み始めた当初は」ということであって、実際には、電気も水道も文明の利器もあって、使っていたのだそうです。

 だからといって私はターシャ・テューダーを、嘘つき呼ばわりしたいわけではありません。

 ただ、次のようには思います。

 「もし彼女が、同じ広さの庭を同じように美しくガーデニングして、保存食作りにいそしんで、一家総出でろうそく作りをしていたとしても、現代風に動きやすい服を着て、普通の家に住み、電気や水道の恩恵を受けていたとしたら、これほどまで注目されることはなかっただろう」と。

 

ターシャの真実


栄光

 注目という点では、ターシャは有名な絵本作家、挿絵画家、人形作家としてすでに注目された人でした。だから晩年になって、彼女が有名になるべくプロデュースされる必要などはなかったとも言えます。

 過去のことであれ、アメリカ合衆国でその年に出版された最も優れた子ども向け絵本に毎年授与される「コールデコット賞」を、二度も取っている栄光には、影が差すことはないでしょう。

 しかし彼女が受けたのは、コールデコット賞ではなく、その次点のコールデコット・オナー賞でした。

 

出生

 次点とはいえ高名な賞を二度も受賞し、多作で、絵本作家として成功したターシャ・テューダーは、意外にも、自己肯定感の低い女性だったと『ターシャ・テューダーの人生』に書かれています。

 彼女は、アメリカでも上流階級の出身でした。
 
 特に母方のテューダー家は、ニュー・イングランドの氷をインドやペルシャに送ることで成功した大富豪で、ターシャの曽祖父は初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンの側近だったということです。
 つまり、富と権力の両方を兼ね備えた名家だったのです。

 家系だけでなく、ターシャの母親ロザモンドは肖像画家として、父親ウィリアムはヨットの設計者として有名人でした。

 そのような恵まれた階級と家庭に生まれたターシャなのに、なぜ自己肯定感が低いのでしょうか?

 その理由は出生にあります。

 ロザモンドとウィリアムは事故で長男を亡くした喪失感を埋めようとして、もうひとり子供を作ろうと考えました。そうして生まれたのがターシャだったのです。

 

 「もし、エドワードがおぼれ死んでいなかったら、わたしはこの世に生まれていなかったのよ」(『ターシャ・テューダーの世界』)

 

 出生の理由だけでなく、彼女の自己肯定感の低さの原因として、母ロザモンドからのネグレクト(育児放棄)があると思われます。

 ターシャを得ても長男を事故死させた傷が癒えず、結果的にウィリアムと離婚したロザモンドは、ターシャを友人の家に預けっぱなしにして、養育にかかわりませんでした。

 ターシャは、母からも父からも捨てられました。
 しかし、彼女は恨むのではなく、むしろ両親を理想化し、画家である母を尊敬して生きます。


困窮

 上流階級の人にありがちな「優雅な貧困」が、ターシャの生活の上に影をさしていたことは、『ターシャ・テューダーの人生』で初めて知りました。実際、初めて明かされたのではないかと思います。

 ターシャがまだ十代の末の頃、おばの遺産が入りましたが、遺産のうち現金はすべてロザモンドが借りて行ってしまい、返してくれなかったそうです。

 23歳で結婚して4人の子供を儲けますが、ターシャの絵が売れることをよいことに、夫からもっと描いて稼ぐように要求されたというエピソードも書かれていました。(『ターシャ・テューダーの世界』)

 4人の子供を食べさせ、着させ、上流階級にふさわしい学校に通わせるためにお金が必要で、ターシャはただひたすらお金のために絵を描いたようでした。

 夫トム・マクレディがどのような人物かは、詳しく描かれていないのでよくわかりません。もしかしたら、彼も別の女性と結婚していたら、もっと甲斐性のある男性だったかもしれないと思います。

 ターシャは愛があって結婚したのではなく、「ほかに申し込んでくれる男性がいないだろうと思ったからよ」と、自らの結婚について語っています。

 都会人のトムは、田舎に住むことが夢だという妻に付き合ってコネチカットに来たものの、自分の夢だけを追いかけて突っ走る妻に愛が冷め、どんどん関係が悪くなっていったように思えます。

 結局23年で結婚生活は終わりますが、その間トムはすべてを妻にまかせきって、お金の心配もターシャは一人で引き受けたのです。

 目の前のお金欲しさに、印税契約(発行部数や販売部数に応じて著作権者に著作権使用料を支払う契約)にすれば巨万の富を生み出した仕事を、買い取り(絵も使用権も売ってしまう契約。売ったときにしかお金が入ってこない)で契約してしまったり・・・仕事を選ばず絵を描きまくるなんて、「優雅なナチュラルライフの実践者、ターシャ・テューダー」からは想像もつかないですね。

 

甥がプロデューサーとなる 

 『ターシャ・テューダーの人生』の著者、ハリー・デイヴィスが、ターシャ・テューダーの甥です。

 ハリーが出会った頃、ターシャの子どもたちはすでに独立し、バーモント州の、ファンに馴染み深いあの家に住んで、春夏はガーデニングを、秋には冬支度を、冬には絵を描くという生活をしていたと思われます。

 「子供が独立してから、仕事を選べるようになった」という記述があるので、お金の必要に追われるような生活ではなかったかもしれません。

 

 ハリーと出会って、ターシャの人生が変わります。

 それまでのターシャは、どれほどお金を稼いでも、どれほど素晴らしい賞を取っても、自信を持てないでいました。

 ターシャは自分の絵に対しては非常に厳しい。自分は画家ではなく、挿絵画家であると考えている。ターシャが育った時代には、両者の区別ははっきりしていた。画家は尊敬されたが、挿絵画家は雇われ仕事をするものだと思われていた。ターシャは画家に崇敬の念を抱いており、母親を最高の一人と位置づけている。(『ターシャ・テューダーの人生』)

 

 兄の死によって生まれてきた、望まれない子である自分。

 得意な絵も母親にはかなわないという思い。

 二度の離婚。

 人に言われるまでもなく、自ら気付いていた性格上の欠点。

 

 そのようなものに苦しめられていたかもしれません。

 

 しかしハリーがやってきて、彼女のライフスタイルそのものがセールスポイントになることを教えてくれたのです。

 彼女が自分の好みで作り上げた庭、家、衣服、暮らし方、飼っている犬、鳥、作った人形やぬいぐるみ、ドールハウス、子どもたちのためにした、ささやかな楽しみ、プレゼント・・・それらが皆、人々の憧れになることを、知ったのです。

 ターシャは70歳を過ぎてからようやく、自信を持つことができました。

 ハリーは、『ターシャ・テューダーの世界(The Private World of Tasha Tudor)』を皮切りに、『ターシャ・テューダーのクックブック』『ターシャ・テューダーのガーデン』『暖炉の火のそばで』と立て続けに本を出版しました。

 

 ターシャの日常生活(ガーデニング、秋の収穫と保存食作り、一年分のろうそく作り、クリスマスやイースターの飾り付け、家族の誕生会など特別な日の過ごし方など)をテレビ番組にしたり、それをまたDVDにして販売しました。

 ターシャとそのライフスタイルは、いつのまにか「売れるネタ」として、様々な業界が注目するようになりました。

 ターシャがデザインしたぬいぐるみ、ターシャ描き下ろしのポストカードやイラストなど、ターシャグッズの販売。

 ターシャの庭の見学とターシャと会えるツアーなどなど。

 ターシャの全く関係ないところでも、「ターシャ風ワンピースの型紙」とか、日本でもありました。

 

 


女性起業家がターシャから学ぶこと

 

 ターシャ・テューダーの人生からは、多くの学ぶことがありました。

  •  自分だけでは、自分のセールスポイントが何かをみつけられないこと。
  •  自分で自分の能力を信じられない人は、才能を安売りしてしまうということ。
  •  お金欲しさに働くと、自分を消耗させてしまうこと。
  •  労働の対価として収入を得るだけでなく、権利収入を得る方法を知る必要があること。

 ターシャはハリーという甥にプロデュースしてもらったことで、70歳を過ぎた晩年から一躍スターになり、アメリカだけでなく日本にも多くのファンを持つことができました。

 

 今、無名の女性で、一から起業しようという人は、SNSなどで注目されることで売上を伸ばそうと考えると思います。

 そのとき自分ひとりでするよりも、ターシャにとってのハリーのような、親身なプロデューサーをつけたほうが、成功までの道のりを短くできるでしょう。

 

  •  自分では気付いていない自分の長所をみつけてくれる
  •  短所を隠してくれる
  •  得する契約方法を教えてくれる
  •  ゆらぐ自信を支えてくれる

 

 もしもターシャがハリーと出会わなければ、彼女は絵本の挿絵でしか記憶されず、バーモントの深い森のなかで時代遅れのかっこうをした、風変わりなおばあちゃんとして、ひっそりと生き、亡くなったに違いありません。

 過去の人だったターシャが著名人となり、その著作権収入とグッズ収益という汲めども尽きぬ巨万の富を、子、孫、ひ孫にまで残せた例は、起業主婦にとって、おおいに励みになるでしょう。

 

 

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

サラリーマン妻の起業を応援するブランディングコンサルタントです。 「忘れっぽくても目標を見失わない!」 「小さな夢を積み立てて願いをかなえる」ニッカブランディングダイアリーという、手帳リフィルの製作販売もしています。