【プロフェッショナル仕事の流儀】デザイナー皆川明。あきらめないで続けることがプロフェッショナルだ

落ちこぼれから、日本を代表するデザイナーになった静かな男の物語

 

「革命をしたいっていう感じじゃないんですよね

ただ”新しい”を求めていない良さというか

でも結果 新しくなっちゃうんですよね」 (糸井重里談)

 

デザイナー皆川明 49歳

 

何度も修理して、長く着てもらうことを前提にした服作り。

「自分たちの服が、ワンシーズンというよりは、ずっとその人の生活に寄り添っていってほしいなっていうのはすごく思うんです」 (皆川明)

 

皆川の会社はスタッフ90名ほど。服を売る直営店は全国に8か所。むやみに増やそうとは考えていない。

しかし21年間で売り上げが下がったことは一度もないという。

 

今では海外の一流食器メーカーや家具メーカーからもデザインを依頼される皆川だが

服作りを志した29年前、不器用で一着も作り上げられなかった。

 

人々の心に響くデザインとは何か?

 

よりどころは、ひとつだけ。

自分の喜びに、従う。

 

「自分がこんなのものが布になったらすてきだな、と思うことだけですね。

周りの人に喜んでもらえるだろうというふうに、描けば描くほど

自分の思いが小さくなるというのが分かっているので

自分が喜んで描いているものは、人が喜んでくれるものだと信じて。

おごった意味じゃなくて、

精いっぱいやろうかなと思うんですよね」

 

 

新作コレクションの生地に選んだ、砂時計模様の意味

「ある意味、すごく人生に近いというか

持ち時間がだんだん減りながら 記憶が増えていくという考え方で捉えたんですけど

説明になりたくないので、どのくらい抽象的なところにもっていけるかな」

 

 

時間が減って、記憶が増えていく砂時計(人生)のように、

一面的にはマイナスに見える事象にも、プラスの面はある。

 

 

 

修理のために帰ってきた16~17年前のコート

 

その古びて擦り切れた袖口がうっすらと黄色くなっているのは、

長く着ることを楽しんでもらうためのしかけとして、わざと黄色の裏地をつけているから。

 

流行を追わずに服を作るのは怖くないですか?

 

「孤独といえば、孤独なんですけど

戦っているというよりは、とっても自由に泳いでいる感じがするんです

自分の作りたいものを作るということは、自分の中にあることですから 何かと照合する必要はないっていうか。

自分の気持ちの中で思いを詰めていけばいいので

とっても自由だし、やりやすいです。

自由で責任を果たすということは大変なことですけどね、それは。

自由の中でやっているわけですから、言い訳はきかないという意味では責任が重いなと思います」

 

 

人生の軌跡

 

 

デザイナーになろうと思ったきっかけ

 

高校を出たあと、就職先も進学先も決まらないで海外旅行をしていたとき、偶然、パリコレの裏方を手伝ったことがきっかけだった。

このとき唐突に「ファッションを一生の仕事にしよう」と決めた。

特に器用でも、ファッションに造詣が深いわけでもない。

しかし、運命を感じた。

中卒で定年まで黙々と働いた父のように、一貫してやるっていこうことをしてみようと思った。

 

服飾の専門学校では、ポケットを縫う課題さえうまくできず、2年で修了する課程を3年かかった。

それでも道をあきらめず、縫製工場やアパレルメーカーでアルバイトをしながら技術を身につけた。

 

ブランドの立ち上げ

 

1995年、27歳で、一軒家を借りてブランドを立ち上げる。

皆川は、服のファオルムだけでなく生地のデザインから手掛ける。

「布から、なるべくすべてに自分が全精力を注がないと評価されないんじゃないかと思ったんです」

 

魚市場で生活費を稼ぐ日々

 

しかし、肝心の生地を作ろうにも、お金も信用もない。

そこで工場にかけあい、給料なしで働く代わりに、自分の生地を作らせてもらった。

睡眠時間3時間。生活費は朝4時から午前中いっぱい魚市場で働いて稼いだ。

でも、服はほとんど売れない。

本当にこの仕事を続けていくことができるのだろうか・・・

その時期を乗り越えられたのは、家族のためにずっと働き続けた父親への尊敬の気持ちだった。

 

「だから自分もこの仕事を、楽しいとか、つまらないとか、

うまくいくとか、いかないとかということで、

この職業を捨てるつもりはないし

それによって自分の仕事を計ることもなく

いろんなことを飲み込みながら、とにかく続けるってこと」

 

転機は1999年

 

様々なブランドを扱うセレクトショップで、流行に流されない独自性のあるデザインが注目された。

 

マイナスの中にもプラスはある

 

決して向いていないと思った世界で走ってきた皆川は今思う。

「自分ができないことに出会ったときに、そこで自分ができないっていう状態でいるよりは、自分にできることを

そこで相対的にみつけるっていうか

これはできないけれども、これはできるし

できないってことは、こういう良さがあるとか

社会的にはマイナスに見えることが、自分にとってはプラスってことがあるんじゃないかと思ってみたり

なんか、そういうことは、ずっとしていたんだなと思います」

 

「思う方向に向かいたいと思いながら、

思っているうちはできそうもないみたいな

ジレンマがありますよね。

思っていないと、その瞬間もないと思うんですけど

思っているうちはその瞬間ではないので、

もやもやしてるってことはあると思う」

 

皆川明さんの言葉から学んだこと

 

皆川さんは、番組でも「静かな男」と言われていますが、とても静かに誠実に答えられる方でした。

 

あきらめないこと、続けること

 

別に器用だったわけでもなく、服やおしゃれが好きだったわけでもなく、ただ偶然にパリコレの舞台裏で手伝ったことによって、デザイナーの仕事に就かれたことに驚きました。

服飾専門学校でポケットもつけられなかったというエピソードがありましたが、苦手なこと、上手にできないことでプロになっていくのは、本当に過酷だと思うのです。

にもかかわらず、父親の仕事に対する姿勢を尊敬していたために、「自分も、一つの仕事に打ち込んで、それを全うする」と決めて、実際にそのようにしたということに敬意しかありません。

私にこんな人生が歩めるかな?と思いました。

好きなことですら、得意なことですら、壁にぶち当たったらあきらめてしまうことが多いですよね。

 

仕事は淡々とするものかもしれない

 

一喜一憂しないというか、良いときも悪いときも均して、平準化して受け止めていく、進んでいくのが良いのかなとも思いました。

服が売れなければ、魚屋で働いても服作りを続けるなんてこと、気持ちを平準化して一喜一憂しないようにしないとできないことですよね。

 

断られても、断られても、状況を変えて行く強い意志はあるか?

 

「生地から作って独自性を出そう」というアイデアは考えつけても、お金も信用もなくて生地なんて作れないとなったら、そこでUターンしてしまいそうなものですけれど。

そこで工場に掛け合って、ただ働きとの交換条件で、オリジナルの生地をつくらせてもらえるようにするなんて。

何軒くらい工場を回ったんでしょうね?

最初の工場でOKが出たとは思えませんもんね。

断られても、断られてもあきらめずに前進し続ける根性がすごいと思いました。

 

ケンタッキー・フライド・チキンの創始者、カーネルおじさんをはじめ、「断られてもあきらめませんでした」という立志伝中の人物は多いですけれど、果たしてそれを自分ができるかどうか?

あらためて考えさせられた番組でした。

 

もっと詳しく皆川明さんのこと

 

「実はすごい苦労人 ミナペルホネンの皆川明さんの歴史」(キナリノ)
服飾専門学校の昼間に落ちたので夜間部に入ったとか、留年して除籍になりかけたその理由とか、人となりが分かるエピソードがたくさん書かれています。

 

ミナペルホネン(minä perhonen) 公式サイト

 

ミナペルホネン(minä perhonen)